みんなが憧れる芸能人。
でもその陰で、過去に壮絶な暮らしや
大きな苦しみを味わったことのある人が、
多くいると聞きます。
今回は、そんな「苦労した人、暗い過去」がある
芸能人の第3弾です。
満島ひかり
1997年、彼女はアイドルユニット『Folder』としてデビュー。
シングル「パラシューター」でいきなり 10万枚以上の売上を記録し、
好調な滑り出しをみせました。
しかし、それ以降はヒットに恵まれず、 活動休止することに。
その後、彼女は「ウルトラマンマックス」で
ドラマデビューを果たすが、
長らく 泣かず飛ばずの状態が続いたと言います。
転機となったのは、映画「愛のむきだし」に 出演したときのことです。
その役柄での表現力や演技力が高く評価され、
個性派女優として認められるようになりました。
女優としてチャンスをつかみかけた
ちょうどその頃でした。
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苦悩の始まり
満島ひかり
家庭では「家計」のやりくりが大変でした。
滞納していた税金を払うことができず
2006年に、実家が「差し押さえ」られて しまったのだと
言われています。
さらに、彼女を苦しめることが起こりました。
それは2007年、父親が沖縄市内で酒気帯び状態で
軽ライトバンを運転中。
乗用車に追突し、逃走中に逮捕されたと言います。
教師だった父親は、 「教え子に示しがつかない」と思い、
自ら退職したとのこと。
このことで、ますます家計は苦しくなって しまったそうです。
当時の彼女は、まだ収入はそれほど貰ってはいません。
助けたくても、どうにもならなかったようですね。
でも「、自分が女優として活躍することができれば、
父親を助けることができる」 そう思い、
頑張り続けました。
その結果、演技派女優として認められ、
今後の活躍が見逃せない女優の一人となりました。
石井竜也
「米米CLUB」で知られる歌手の石井竜也さん。
彼は、美術学生時代に結成したバンド「米米CLUB」で
1985年にデビュー。
1990年には、「浪漫飛行」がヒットし、
1992年に「君がいるだけで」で日本レコード大賞を受賞するなど、
人気グループの仲間入りを果たしました。
1997年にグループ解散。
彼は「天狗」になってしまったのだろうか?
解散後は、自身のソロ活動が好調だったこともあり、
「自分は何でもできる」 そう思ってしまったんでしょうかね。
大学時代には映画研究会に所属していたほどの
映画好きだったことも影響があるのでしょう。
本業のソロ活動のほかに映画分野にまで、
活動の幅を広げていったそうです。
その結果、10億円もの借金を 背負ってしまったと言われています。
自業自得とはいえ、大変な金額です。
それからというもの、人間不信に陥り、
二度に及ぶ自殺未遂で、精神状態はボロボロに なっていたと言います。
そんなとき、救ってくれたのは 今は亡き、父親でした。
「お前はたぶん今人を恨んでるだろう。
お前は今夢を売って、夢を作ってきたんじゃないか。
人を恨んだり憎んだりして良い作品ができるか?
そういう作品はお父さんはみたくない。
(中略)金なんてものは結局心がないものだろ?
そんな心のないものにお前は命を預けちゃうのか。
こんなくだらないものに命を預けるなんて、
お前はそこまで馬鹿じゃないよな と、
たんたんと語ったという。」
(引用 J-cast)
この父親の言葉で「死んではいけない」と思ったと
彼は言っています。
この言葉によって彼はは立ち直り、
コンサート活動に精を出したそうです。
そして、2006年には米米CLUBを再結成し、
2012年には全国ツアーも行っています。
借金は45歳の時に完済したといいますから、
すごいですよね。
人間って気持 の持ち方一つで、
こんなにも前向きになれるんですね。