いまでこそ、人気実力派女優や俳優、タレントとして
活躍している芸能人だが、複雑な家庭環境や
壮絶な暮らしをしていた人も多いと言います。
今回はそんな苦労した人、暗い過去がある人に
スポットを当ててみました。
成宮寛貴
イケメン俳優、実力派俳優として定評のある成宮寛貴さん。
そんな彼が、人気俳優になるまでには、
苦難の道があったみたいです。
両親は、幼い頃に離婚しました。
そして、彼が中学生の時に母親は他界。
この年齢で、家族の離婚や死を経験するのは、
かなりの精神的苦痛だったと思います。
その後、弟と祖母の3人暮らしをしていたのですが
金銭的に厳しかったのでしょうね…
彼は高校進学を諦めました。
3人の生活費を稼ぐために中学卒業前に家出をし、
新宿2丁目の「売り専バー」で
で住み込みで働いていたのだといいます。
新宿2丁目と言えばゲイの聖地として有名な所ですが、
売り専ゲイバーで働き、家族の生活を支えたのだとか。
当時から彼の美少年振りは知られており、
売れっ子だったと言われています。
芸能界デビューのきっかけは?
成宮寛貴の芸能界デビューに関わったとされるのが、
女優の「かたせ梨乃」さんです。
二丁目時代に彼女から芸能界に誘われ、俳優としてデビュー。
彼が弟想いであることはよく知られており、
俳優として活躍し始めてからも
弟の大学・大学院の学費もすべて面倒をみたんだそうです。
芸能界という華やかな舞台に立っている人でも、
裏ではかなり苦労をしていたんですね。
そんな、成宮寛貴を陰ながら応援しています。
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沢尻エリカ
「パッチギ」や「1リットルの涙」で
演技派女優としての地位を築いた
「沢尻エリカ」さん。
映画「クローズド・ノート」舞台挨拶での、
「別に」事件により
一気に転落してしまいましたね。
司会者から、色々話しを振られるのですが、
結局、彼女が発した言葉は3言だけでした。
不機嫌な表情で
「皆さん今日はどうもありがとうございました」。
一番思い入れのあるシーンはという質問に
「特に無いです」
クッキーを焼いて現場に届けたときに、
どんな思いでクッキーを焼かれたのかと聞かれて、
「別に」
もう、周りが凍りついてしまった・・・
いやー、振り返ってみると衝撃的ですよね。
その当時のことを振り返った彼女は
「もう(精神的に)いっぱい、いっぱいで、
末期だった」
「私はこうでなければいけない」
その「型にはめられる」のが凄く嫌だったんでしょうね。
それで、パンクしたのが理由の一つでもあるそうです。
当時、約160件の取材やテレビ出演で
精神的にピークだった」
同じような質問ばかりされるのにも
飽き飽きしていたのかもしれませんし、
単純に疲労も溜まっていたんだと思います。
「人じゃなかった時代」
と語っています。
その頃から、仲の良かった「片瀬那奈」さんでも
彼女には近づけなかったと話しているようです。
マツコデラックス
20代の頃の「バディ」というゲイ雑誌の
編集記者をしていたといいます。
その後、会社を辞め実家に戻り、
2年間は引きこもりになっていたそうです。
心配していた何人かが「大丈夫?」と尋ねると、
「ダメ」と返事返ってきたことがよくあったのだとか。
マツコは引きこもり生活中、自分より不幸な人を
見つけて救われたいと思い、
高校の同級生らに連絡し
現在の職業や年収などを聞いてまわり
「幸せランキング」を作っていたといいます。
そのランキングの最下位にいたのは、
他ならない「自分」だったと語っています。
引きこもりからから抜け出すキッカケは?
マツコを救い出したのは作家の
「中村うさぎさん」。
彼女はゲイ雑誌でマツコさんの存在を知りました。
その中村さんが対談相手にマツコを指名したのだと
言われています。
その、対面からわずか3日後、
2001年に発売された自身の対談集
『人生張ってます―無頼な女たちと語る』(小学館刊)の
相手に、当時はまだ無名のマツコを抜擢しました。
その後、中村うさぎさんにエッセイを書く事をすすめられ、
現在はコラム二ストとしてテレビなどで活躍しています。